たぶん、一見論理的、実は冗長なだけの当ブログでありますが・・・。
ないものねだりとは良く言ったもので、人は自分に無いものに憧れるのではないかと。
世界中のどんな宗教や思想も、それが生まれた土地にはない倫理・価値観だからこそ、その土地で生まれた
と言うような話を聞いて、なるほどな~、と思ったこともありまして、私の場合も全く論理的ではない(と言う事は以前にも書いたと思うのですが)、が為にそれを補完しようと思っている節がありますな、どうも。
だから、見る人が見れば、矛盾していたり、突っ込みどころだらけだったりするのだろうと思います。
ところで、私の学生時代の恩師は、居士(禅宗のお坊さん)であり、修道士であった方で、理論と実践のバランスに非常に重きを置いていらっしゃいました。
物事を論理で捉えていく作業と、実践(=修行)のなかで捉えていくもの、この二つのバランス。
結局のところ、扱う対象が「語りえぬもの」でありましたから、理論の蓄積だけではいかんともしがたい、そういう世界なのであります。
で、私はと言いますと、その研究室においては、驚くほど本を読まない学生として有名でありまして、まぁ、要するに、論理・知識面で非常に弱っちい学生だったと(かといって、薦められていた禅寺への住み込みや、座禅会への参加をすることもせず、ダメだったなぁ)。
で、そのバランス感覚がいかに大切かに気づいたのは、ごくごく近年のことで、それは音楽についても同様に・・・