本日はAYA y sus Amigos,で演奏してまいりました。
ピアノトリオによる、デスカルガであります。
ご存じない方のために説明しますと、「デスカルガ」とは、ラテンにおけるジャム・セッションのことであります。
そして、場所は福島のバラデロという、しゃれたレストランでありまして、そういう「しゃれた」現場の時は、自分もちょっとおしゃれにしなくてはいけないような気がして、頭を刈り込みます。
私にとっては刈りたての頭がおしゃれなのであります。
・・・嘘をついておりました。
刈りたての頭が自分にとってのおしゃれ、というのはそうなのですが、バリカンを入れるときには、服に髪がつくのがいやなので全裸であります。
すなわち、冬場は厳しい作業であり、「おしゃれなところに行くんだから!」などの理由付けをして、気持ちを鼓舞してからでないと、散髪にかかれないのであります。
それで、刈り終わった髪を掃除しながら、ふと、昔何かで読んだ(聞いた?)話を思い出したのですが、それは、
「(もともと持っていたものでも)体から離れたものは汚い(と人間は感じる)」
と言うものです。
すなわち、「~~糞」などの類や、よだれ・つば類、屁や、場合によっては息などもそれに当てはまります。
元来体の中にあったものが外に出るや否や、汚いと感じるようになります。
逆に当てはまらないものは、爪や髪の毛などですか。
しかし、肝心の理由が思い出せないので困っています。
どう検索をかけたら良いかも分からず・・・。
「~(と人間は感じる)」としたのは、清浄である/汚い、の感覚はほかの動物には無いように思われるからです。
犬・猫は、排便の後砂を掛ける仕草ををしますが、犬は却ってそれを目立たせるためのマーキングであり、猫は匂いなどを消して外敵から身を守るための行動であって、清浄である/汚い、と言うものとは違います。
今や、答えを見つけるすべはないので、考えてみるしかないのですが、
まず、言葉から連想すると、「浄/不浄」と言うことを思い浮かべます。
体から出て行ったものは、不要になった細胞・消化した残りかす、の類でありますから、死を連想するものとして、不浄であると感じる。
しかし、これですと、○カトロジーであるとか、布団の中でしたおならが芳しい(私だけでしょうか??)とか言うことが説明できなくなってしまいます。
まぁ、私の嗜好はおいておくとして、「人間はタブーを犯すことに至上の快楽を得る」てなことを言ってる人もおられるようで、更に話がややこしくなるので、この文脈に関しては期限なしの宿題と言うことで、一つご勘弁を頂きまして、もう一つ、それらの特徴を挙げるとすれば、
体から出た汚いと感じるものは、生命活動上で「計らずも」行わなければならないこと(ネイチャー・コーリングですか)であるのに対して、髪や爪などは自らの意思によって切り離されている、という点でしょうか?
髪の毛は売ったりするし、爪は普通につまんで捨てればよいですし。
ああ、そういえば、「毛」と言うことで言えば、戦時中は恋人の陰毛をお守り代わりに戦地に持っていったと言うことがあるようで、これは、意識的に体から切り離したものですが、誰かが意図したわけではないのに、何故か落ちているあの毛を発見しますと、なんとな~く汚い気がします。
そろそろ、終わりに結び付けたいのですが・・・、
↓
これは近代以降の感覚である、と推論してみます(根拠無し)。
近代以降、自然を征服することに情熱を燃やしてきた人類は、それをどうしても果たせないものが、まさに自分自身の中にあることを再確認します。
全てを論理的な体系によって把握しようとする、産業革命以降の近・現代においては、そこからこぼれ落ちていくものに対しては、「悪」のレッテルを貼るのデ~ス!
・・・すみません。終始一貫して穴だらけで、全くまとまりのないまま終了です。
思い出せなかった、「何かで見た(読んだ?)理由」はもっとスッキリしていて、「なるほど~。以上!」と言うものだったのですが・・・。
お恥ずかしい醜態を晒しつつ、そろそろ芳しき布団のほうへ参ります。