アカギレのたえない子供でした。

雪国生まれ・・・と言うのは直接関係ありません。
手袋もありゃぁ、暖房器具も充実していましたので。

主に、「手の洗いすぎ」によるものです。
小学校高学年あたりから、やたらと「手が汚れている」感じがしてしょうがなかった。
物理的に汚れているのではなくて、汚れている「気がする」、と言うもの。
なので、どちらかと言うと精神性に起因するものであって、浄・不浄のくくりに当てはめられるような気がします。
潔癖症と言うのとはちと趣が異なります。

一日に何度も何度も洗いました。

外から帰ったら・・・とか言う話ではなくて、何か一つの行動に対して「一洗い」するわけで、漫画を読んでは洗い、姉の肩揉みをしては洗い・・・いつのころからか、アカギレもそうですが、なんせ手が真っ赤な子供でしたね。

その名残りか、いまだに人より手が赤いです。

さて、そのような行動は、

AをしたらBになって、そのBはCに関係があって・・・・・・・Zになる、「かもしれない」。

みたいな、「風が吹けば桶屋が・・・」的、しかも負の方向性オンリーの考え方から来てました。

例えば、「手洗い」以外の例としては、下校時に何気に路上の石を蹴ったとします。
その時はまさに何の気もないわけで、普通に帰宅するのですが、しばらくたって


と思い出すわけです。

ひょっとしてあの石、僕が蹴ったせいで車道の丁度タイヤが通るところに動いて、それを車が撥ね飛ばして、民家のガラスが割れて、その破片でおばあちゃん(何でおばあちゃんがでてくるのかは不明ですが、割とおばあちゃんが被害にあうことが多い@幼少木村脳)に刺さって

・・・といった具合。

この場合、「手洗い」では解消されないので、実際に現場へ向かうわけです。
で、「その石」「らしき」ものを移動して帰ってくると。
ちっぽけな小石なんですけどね・・・。

ま、そんな具合でした。

今考えれば、自分が厄災の原因になることを過度に恐れていたのかな、とも思うわけで、これは、なんとな~く現在もそう。

今みたいにインフルエンザがどう、という時期に軽い風邪をひいてしまった私。
ただの風邪とはいえ、こんな時に人に移してしもたら、色々と手を煩わせてしまうだろうなと。
いろんなレベルで。

なので、取りあえずマスクは手放せませんし、手もやたら洗うので、いつもは濡れ手な私ですが、脂がなくなっちゃってガサガサです。
普段びっくりするくらい手を洗わない男なんですがね・・・。

ところで、病的な手洗い癖から、びっくりするぐらい手を洗わない男への移り変わりのきっかけはなんだったかというと、ズバリ、学生時代のインド旅行でした。
私ごときの、浄・不浄なんて、なんとちっぽけなことか、ってなもんです。


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