福井県は越前町の、山間のベンチにて横になっていたわけです。
横になったといっても仰向けです。
お空はって言いますと、こんな感じ。神さんが覗く為に、ぽっくり開いた穴のように、山々に切り取られた部分だけの空が頭上にはあります。
そこを、台風のせいで雲が間断なく流れてゆきます。
それで・・・、目を閉じますと、普段聞く事のない音に溢れております。
虫の音、 鳥の声、 風に揺れる木々の葉、 小川のちゃぷ、ちゃぷ、ちょぽん。
これらは全部が全部、ランダムに、且つ重なり合って鳴っているのであって、こりゃ音楽だなと。
パーカッション的には、S・E(たぶんサウンド・エフェクトの略)と言う分野がありまして、効果音的所作を求められる事があります。
で、ふと考えますと、私、これらは所詮、効果音だとか、自然の模倣だとか思っていたフシがある、と言うか思っていたのですが、そんな理解では何も分っていないのと一緒かな、と。
「天球の音楽」という言葉が在りますが、どうもそれは「秩序」の匂いがプンプンで、山川草木の音楽とは違うような気が。
個人的な好みで言いますと、S.Eは、ず~っと、ドローンのように鳴っているのが好きなのですが、それは一時期のファラオ・サンダース好きの名残だったりもするのかな?
いずれにせよ、一般的には、S・Eは、「ここぞという時に」、が基本だったりして、しかし、これは、「世間と私の好みが違う」、というような独りよがりを表すものではなくて、単純に私が山川草木の音楽を創りえていないだけの話でありましょう。
一つ一つにさしたる意味はなく、秩序らしきものも無いんだけど、重層的に(しかし無秩序に)連なる音の群れに、何かを感じるわけで。
「聞く」と「聞こえる」を隔てるものは、「意志」かと思ったりするのですが、となると、それらを音楽たらしめるのは、演奏者と聴衆がその場に居るという共通感覚のなせる業であって・・・、
さすれば!
こりゃ、ごっついコミュニュケーションの一形態でもあるわけだ!
・・・なんてことを考えておりますと、想起されるのはあの曲ですわな。