今日は電車だったので本が読めた。

すみません!すみません!

このところ沢山アクセスいただいているようで、更新もしていないのに申し訳ないです・・・。

前エントリで、「アーカイブ」導入の旨をお伝えしましたら、ホンマに遡ってみてくださってる方がいる模様です。
いたずらに字数が多いだけで、さしたる内容はありませんが、お気に召しましたら幸いです。

さて、つい最近「○○ぞな、もし」という文で〆たことがあるのですが、年末にNHKでやっていた『坂之上の雲』ガ面白く、ちょっとづつ、本を読んでるのであります。
なかなか、こしを入れて読む時間がないので、遅々として進まないのですが、面白いです。

現在、時代背景としては、丁度日清戦争が終わって、日露戦争へと向かうところ思うのですが、色んな国家や外交の有様が、実に詳細に語られていますが、けして、わずらわしさを感ずることがなく、また、それらに対する描写も非常にバランスが取れていて、エエ感じなのです。

何故だか、優秀な人材に溢れていて、胸のすくような逸話も枚挙に暇がありません。

いやはや、時代が人間にがむしゃらに生きることを強いているというか、時代環境が人間を規定するということは、確実に有りそうな気が。

さて、その主要な登場人物の一人に、正岡子規がいるのですが、その俳句論がとても分かりやすく・・・、いや、司馬さんの描いた正岡子規の俳句論、ってことかもしれませんが、まぁ、エエじゃないですか。
恐らく、その描写には間違いなかろう、という位に、資料にあたって書いておられる雰囲気がビシバシなので・・・、間違いなかろう、と思うのです。

曰く、「写生」であると。

冒頭に、このブログについて、「いたずらに字数が多い」と書きましたが、結局、短い言葉でまとめることが苦手でして、そういう意味で言いますと、「詩」を書くのはもちろん、その読解力も甚だ貧弱で、逆にそうであるゆえに、短い言葉で書かれた表現に対して、実はその背後には、深~い意味が隠されているはず・・・、みたいに、変に気負って接する部分があったのですが、「写生」であると。

写生、すなわち、ありのままに、ということでしょうか。

つまり、もっと、感情とか感覚に直結しているのであって、それに対する「謎解き」みたいな作用を必要とする類のものではないっていうか。

してみると、非常にスッキリした心持で、それらに対することが出来るような気になりました。

「出来るような気になった」だけで、まだ実際にはあたっておりませんが・・・。

ひょっとすると、豪快に誤読してるかもしれませんが、その場合は、短歌人の友人が、もの申してくれるのではないかと期待しつつ、今日はこの辺で。

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)/司馬 遼太郎


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