う~む。
最近はこのブログ活動が私にとってプラスになっているのか疑問になってきておりますが、いかがなもんでしょうな。
先輩諸氏におきましては、何かアドバイスございましたらお聞かせくださいませ。
何と申しますか、更新を重ねれば重ねるほど、自己規制が増えていって窮屈にはなっております。
あと関係ないですが、ここ最近段落のスペースを忘れて久しいのでちょっと見直してみました。
・・・それはさておき、昔、倫理の授業で、
AVにはモザイクがかかっているべきか否か?その理由も答えよ。
と言う質問が学生に投げかけられ、私は、
かかっているべき。見えないところがあるほうが興奮するから。
と答えたところ、
いや、あんたの趣味・趣向は訊いてないから。
と指導教官に言われ、教室の失笑を買ったことを思い出したのは・・・、
この記事だ!!
▼今では、公衆の面前で堂々とキスするカップルにへきえきすることはあっても、茂吉が感嘆したような光景に出合うことはない。押しつけられた文化だからか、そもそも日本人には似合わないのか。ただひとつの例外は、平成16年7月、ジャカルタの空港で、再会を果たした曽我ひとみさんと夫のジェンキンスさんが交わした情熱的なキスだった。
引用元(下線は筆者):産経新聞>論説>産経抄5/14 (時間が経つとリンク切れの可能性)
斉藤茂吉さんがヨーロッパ遊学中に、現地の若者が接吻している現場に遭遇して、しばらく見とれたと言う話で、結びが上に引用した文章です。
私の施した下線の部分は、産経新聞がアメリカ好きなので「ひょっとして欧米コンプレックス?」、と言うような事はさておき、ある意味共感を覚えたわけであります。
それは、私の学生時代の「ハズばな」とも微妙にリンクしておりまして、日本人には「陰影の美学」とでも申しましょうか、影や隠れたものに価値を見出す感覚があるような気がしておりまして、それは所謂、「奥ゆかしい」と言う価値観にも通底する事なんではないかと。
がしかし、後半の下線部については、私も全く同様の驚きを持ったのであります。
すると、上の二点をかんがみるに、こういった行為についての感覚を呼ぶものは、見る側と言うよりもむしろ、その行為の主体の側から発せられるのではないかと、いささか乱暴ながら思うのであります。
すなわち、前者は、欧米のサルまね的思考回路に基づくものであって、己の血肉とはなっていない行為。
後者は、拉致と言う、非常に悪辣な行為がおおもとの原因にはなりますが、永年の海外居住経験&国際結婚によって裏打ちされた行為。
結局何が言いたいかといいますと、
私は経験主義である
ということであります。
やったことがないことは出来ません。
しかし、やったことの総体が多ければ多いほど、やったことの無いことが出来る可能性は高いと。
・・・と言うような自分自身の傾向については、恩師にいわれて初めて気が付いた事でありまして、戦略的に経験主義であったわけではありません。
勝手に身体(この場合は魂が含まれるのでしょうね)がフラフラと方向を変えるのであります。
因みにそういった性向は、世間的には、いっちょ噛み、と呼ばれることもあります。
ははは・・・。