及ばないのはなぜかというと、毎日やることがバラバラだからやな、と思います。業務上致し方ありません。
それよりず~と前の断片的記憶とかは断片的にあったりもしますが、時系列を立てて一直線には繋がらないのです。
何でそんな事を書いているかというと、プライヴェイトな理由で一昨日の行動を思い出さねばならなかったのですが、案の定手帳という名のiPhoneを繰らないと思い出せなかった次第でして。
手帳的なものは激烈に大切なものであります。
…さて、折角なので、一昨日は何やってたかというと、(あら!このブログにも書いてありました)サラサのライブでしたが、ミナミホイールというやつだったので、客席にひろTさんがいらしたらしいですが、僕は気づかなかったのですが、気合入りすぎてハミ出る…、ということをマタゾロしでかしましたが、それは「有り」なこと、という共通認識があるので良いのです。
もちろん、「共通の認識」というのが大切で、「無し」という共通認識のある場合もあるので、「気合空回り」が有りや無しや?は、状況により異なる…というわけです。
話が逸れました。
で、昨日は「歌声喫茶」で、初めてバウンダリーマイクを実用テストするつもりが、ミキサーにファンタムがついてない(!)ことが判明したのでテストできませんでしたが、滞りなく全ての事が運び、夕方には終了したので、トロトロと大阪市内まで取って返し、バンダ・リブレ(サルサ)と、Pug27のライブを観に行きました。
久しぶりのライブ観戦でしたが最高でした。
生演奏ってのはいいもんですね~、
ええ、いいもんですよ~。
皆さんライブに行きましょう。
話が逸れました。
で、さすがに今日の記憶はありまして、秘密結社的修行を芦原橋にてしましたが、内容は秘密です。
ライブの予定はありません。
終りなき修行に取り組んでいるのです。
微妙に話が逸れました。
記憶やら予定やらが覚えられない、という話ですが、ほら、やっぱり「明日なんだっけ?」ということと、「一昨日のその前は…」というのは、ぱっと思い出せないし、もうええですわ。
これ以上このネタは膨らみません。
…閑話休題。
実のところ、今日ブログを書こうという原動力になったのは、とある文章をご紹介したいがためです。
3つ前+2つ前のエントリは、原発事故に関する情報の取捨選択の難しさと、それをめぐる(このくくり方がそもそも乱暴なのですが)2つの立場からの情報の出され方、についての意見を述べるために、結論は数行だったのに、それに至るまで大変長くなってしまいました。
それについて、高校生の時に愛読した、高橋源一郎さんのツイッターの連続投稿が、ストンと腑に落ちたのです。
僕は、放射能危険視サイドと、危険視しないサイドについて、それが、時に誹謗中傷の言葉にまみれていて、批判や議論の形に発展していない(ように見える)と結論しましたが、高橋さんは「対立軸」をもっと広範に捉えておられます。なるほど、と思います。
↓高橋さんのフォロワーさんが、まとめておられます↓
高橋源一郎氏 @takagengen による「小説ラジオ」
「あの日」から、ぼくたちの間には、いくつもの「分断線」が引かれている。そして、その「分断線」によって、ぼくたちは分けられている。それから、その線の向こう側にいる人たちへの敵意に苛まれるようになった。それらの「分断線」は、もともとあったものなのかもしれないのだけれど。
…こう始まります。
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木村さん、こういうのってやりきれないよね?
(リンク先を)
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>今宵も良い酔い佐野ヨイヨイさん
リンク先拝見しました。
専門家でも意見がわかれるような放射能の影響について、僕も含めて素人が生半可な知識で、それぞれ意見を言っているという状況です。
健康に関わることだから、いろいろな不安があるのは当然だし、こと、原発事故の初期対応において、政府、東電、マスコミの動きが、国民の信頼を失ったことは明らかです。
だから、表現は間違っていた(多分に脚色されているかと)かもしれないけれども、彼女の本心がそこには現れていたわけで、ならば、削除/謝罪という判断はどうだったのか。
表現の仕方については謝罪し、「しかしながら私はこう思っている」ということであれば、その後議論に発展することもありえたのではないかと思うのです。
四の五の言いましたが、結局、思いやりとか、相手の身になって、とか言うのが、これっぽっちも感じられないのです。
相手の健康や生活に責任などとれないのに、言い放たれた言葉が四方八方に射られています。