昨日は昼は秘密結社的リハーサルと言うか集会、夜はサルサのリハでラテンな一日。
今日は昼間は室内改装(自力)の下準備で不要な家具の解体や廃材の整理、夕方から三重県でフラメンコ。
そして、前回の続きで鮒寿司はどうなったかと言うと、結局一人で貪り尽くし、最後は頭と尻尾のお吸い物と、鮒ペペロンとなって胃袋の中へ↓。
鮒ペペロンは主に子持ち卵の部分を使用したのですが、酸味の強い焼きタラコみたいなもんになりました。
さて、鮒関連・・・、もとい、先日の蒲生町部分のネタがまだ書ききってないのですが、蒲生町は蒲生氏郷がお殿さんだったため蒲生町、というのを、中村さんが仰ったんですが、蒲生氏郷といえばあーた、我が故郷、会津若松の初代藩主じゃありませんか。
↑微妙に正確ではない記述です。
ウィキより引用↓
一連の統一事業に関わった功により、天正18年(1590年)の奥州仕置において伊勢より陸奥会津に移封され42万石(のちの検地・加増により92万石)の大領を与えられた。なお、松ヶ島時代(天正13年(1585年)頃)に賦秀から氏郷と名乗りを改めているが、これは当時の実力者だった羽柴“秀”吉の名乗りの一字を下に置く「賦秀」という名が不遜であろうという気配りからであった。一方、天正15年(1587年)7月には、秀吉から「羽柴」の姓を賜っている。
会津においては、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお、「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。7層の天守閣(現存する5層の復元天守は寛永年間に改築されたものを元にしている)を有するこの城は、氏郷の幼名にちなみ鶴ヶ城と名付けられた。また、築城と同時に城下町の開発も実施した。具体的には、旧領の日野・松阪の商人の招聘、定期市の開設、楽市楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築いた。
むきゃー!
若松の若は、滋賀県から、松は三重県から!
最近おとづれた滋賀、今日行った三重(松坂じゃなかったけど)との、会津若松の意外な繋がり。
不思議な縁でしたな~。
さて、日付も変わってだいぶ立ちましたので、もう寝ます。
次回もまた蒲生町で発見したネタをします。
鮒、氏郷、ときましたが、又全然違う方向のトピックです。
ではでは。
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まったく関係のない書き込みでゴメンなさい。
リンク先は、幼心に怖かった映像です。
確かマイクを持っていたアナウンサーは、
若き日の徳光和夫さんだったと記憶します。
国際プロレスでは、山田二郎アナウンサーが、
オックス・ベーカーに襲われていた映像が
印象深いです。
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>今宵も良い酔い佐野ヨイヨイさん
おお、クラッシャーリソワスキーですね。
僕はもちろんリアルタイムではないのですが、まさにこの映像は見たことがあります。
確か、全日のスペシャル番組かなんかで、昔のレスラーの映像を見せるやつがあったのでは・・・。
そして、その時心躍ったのは、32文ロケット砲です。
若き日の馬場さんの肌のつや、適度な筋肉、かっこよかったです。
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再び、関係のないコメントですみません。
日本では不気味で怖いだけのイメージだったのですが、
どうです、このショーマンシップ!
(リンク先を)
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>今宵も良い酔い佐野ヨイヨイさん
ははは!
スゴイですね。
この人は、文字でしか知らなかったですわ。