夜のバー・ラウンジへ。
いや、呑みに行く甲斐性なんてありませんで、演奏です。
いわゆるグランド・ピアノが一台ドンとあって、大変バブリーながら、成金趣味の感じのしない高級感で、夜景もすばらしかったのですが、これまた上品な間接照明だったので、携帯のカメラでは再現不可能でしたが・・・。
そうか、地位とお金がある方々はこういった景色を眺めながら、あるときは疲れを癒し、あるときは商談をされたりするのだなと思うと、なるほど、環境によって生まれるものは違うだろうなと思うとともに、その由来は千差万別なれど、お金の多少によって見える世界は全く違うという、ごく当たり前のことを再確認し、いわゆる「格差社会」の実生活上への反映のされ方を見たような気がしたのですが、しかしそれによって、その夜の仕事があったわけで、その恩恵があった限りにおいて、一概にそれを云々できるはずも無く、なんとも難しくてその先を考える能力が私には無い次第であります。
というか、こと金銭に関しては、生まれながらに平等ということはありえないので、元手(資本)の多少によって事業展開の規模・やり方が違うということを考えると、世代を重ねれば重ねるほど「格差」は拡がっていくのは、もうこの仕組みにとっては自明のことで、そういった部分の緩衝材として日本的「義理人情」的なものが介在することで、単なる数値計算や弱肉強食性を和らげていたような気もするのですが、そこにトドメをさしたのは「痛みを伴う」諸々の事どもだったような気がします。
結果論ですけど。
で、株とか投機とか、私の全くわからない世界がありまして、勝手な憶測で言いますと、予想材料は時の政策とか、企業の業績とか評判とか、悪く言えば風評とかそういったもので、値段が上下したりするんではないかと。
そして、そういった実体を伴わない経済活動が(これも憶測ですが)、ひょっとしたら最も世の中を動いて・動かしていたのがここ暫くのことで・・・。
で、私の好きな作家さんが、「ものづくり文化」といったことを仰っているのですが、例えば砲丸投げのトップアスリートが使っている砲丸が日本の町工場で作られているとか、そんな職人技が作ったものが大事、・・・というか、日本人は得意で、そういった中小が元気の良い社会が日本的には健康なのではないかと(途中から私の考えが混在してますが)思ったりするわけで、しかしながら、例の「痛み」がどうこう言いはじめて、中小が苦しくなって・・・、なんだか無味乾燥な感じが蔓延・・・という気がします。
あ!
うっかりしてました。
私、水商売の人間でした。
うぬぬ、しかし、対価としては価値変動性の中にあっても、「ものづくり」には関わってるつもりではあるのですがね・・・。
さて、「痛み」といえば、剥離骨折の具合は概ね順調でして、痛くないので薬を飲んでいなかったのですが、消炎鎮痛剤というのは、「消炎(鎮痛)剤」であって、消炎がメインであるので飲みなさいと教育的指導を受けてまいりました。
炎症があるから痛いのであって、逆ではないと、なるほど、言われてみればその通りですが、どうも現象面を先に考えてしまう。
しかし、現象には原因なり結果なりがあって・・・。
そういう意味で言うと、先にあげた「痛み」も、本懐を遂げるために耐え忍ぶ「痛み」だったはずですが、「本懐を遂げる」主体自体を破壊してしまったということで、イラッときてしまうのですが、これも結果論ですかねぇ・・・。