血肉の通ったものなんてなかなか稀有であって、全ての芸術、思想についても同じことが言えると思いました。
時に偉そうな事を言い放つ当ブログにおいても、それはそっくり返ってくるのであり、ごく冷徹に省みれば、私の発した言は全く身の丈に相応しくないと思っています。
時に自嘲気味に己を語っているときはもとより、甚だ真芯を捉えていない自慢のごときものまで、自嘲も自慢も何処か真剣に己を見つめる態度ではないからには、偽りの余裕からくるものであろうかと思います。
どの口がそれを語るのか。
うっすらと、しかし確実に意識の何処かにその言葉が在ることは、「うっすら」という限りにおいて、自覚的とは到底言えません。
今現在のような心持ちの時には、我が身を冷静に客観視できるのですが、どこをどう見ても「かんじき」を履いて雪道を歩いているようなものです。
圧力を散らし、散らし。
一刻も早く、ぬかるみにも崩れない脚力を持たなくてはならない。
そんな焦燥感とは反比例する生き様がここにあります。
メメント・モリ、最も私に必要な言葉です。
誓って言いますが、酔ってはおりません。