関西居住暦が18年となったわけですが、こちらに来たばかりの時には、いわゆる関西ローカルの番組が余り好きではありませんでした。
その筆頭が吉本新喜劇だったりするのですが、何故かここ数年、機会があれば見てしまうし、それを楽しんでいる自分に驚いております。
何で嫌いだったのか、今考えるとよく思い出せないのですが、田舎もんとは言えTVは基本的に全国的に流れているものがメインで、+ローカル放送が少々と言う感じでありますので、汎キー局的な情報に浸って使っておったわけです。
それが、こちらに来て見ますと、関西ローカルの番組が沢山ある。
いや、ひょっとすると、割合的には、やはり汎キー局情報が圧倒的なのかもしれませんが、その各々の自己主張が強い為か、或いは私がテレビ自体をそんなに見ないせいか、とにかく、チャンネルをひねると関西発の番組に触れているような気がするのであります。
しかし、関西移住当初は、それらの番組をむしろ敬遠していたきらいがあり、繰り返しますが、理由はよく分からない。
ただ、何となく重い・・・。
おなか一杯・・・。
所謂「濃ゆい」ってやつなんでしょうか?
ま、それに無理矢理理由をこじつけるとすれば、疎外感ですかね。
それまで住んでいなかったのだから、風土に対する共感を持ち得なかった。
しかし、関西は関西(人)であることを主張したいお国柄であります。
すくなくとも、当時の私にはそう映った。
ですので、そういった言説に出会うのは食傷気味であったし、あるいは、関西出身でない事を取りざたされているような、そんな気になった・・・。
軽い被害妄想のようなものでしょうか。
殆ど根が生えたようにこちらに居ついている今の私にとって、それを、正確に思い出すのは不可能なのですが、そういった、「よそ者感」をあらわす言葉が、私の故郷にあったことを思い出したので、論は大きく旋回。
それは、「会津の三泣き」と呼ばれています。
「初めはよそ者扱いに泣き、
住むと気候・風土の厳しさに泣き、
最後は会津人の人情に触れて別れがつらくて泣く。」
ググって見ると、マイナーチェンジした言いかえがあるようですし、その発祥については、「戊辰戦争以降」 などありましたが、お約束の如く精査するのはまた別の機会に(これだけローカルねたになりますと、さすがのインターネットも万能では無いようで)。
いずれにせよ、こんな言葉が出来る土壌がわが故郷にはあり、関西にはこんな言い回しは無いようで(多分)、「外来のものに対して」という、受けて側として見ると、関西はオープンな雰囲気ではあるのかな、という気はします。
関西という括りは大きすぎますが・・・(特に、京都は地形的にも私の故郷と同じ盆地でもありますし、独特の雰囲気がありますので、こういった外来のものに対するオーラがどんな物か興味があります。
古都でもありますし、現在では世界的観光地でもありますし)。
そこからは、外来者の気持ち一つ、と言うところですか。
・・・あらら、当初書こうかなと思った内容と大きく離れてしまったので、回を代えて続きをエントリいたします。
おやすみなさい。