くるくると、興味関心はその行き先を変え、決して深化することのないうつけ者がお送りしております。
現在の矛先は時事問題から大きく外れ、一時毎日のように巡回していたニュース・サイトも最近は御無沙汰気味。
テレビ・新聞の情報は、任意に・時間帯に関係なく得ることが難しく、情報にバイアスもかかっているところが難儀で、ニュース・サイトの良いところは、欲しい情報を時間帯にかかわらず・取捨選択して得ることが出来ることですが、枝葉が恐ろしく広がっていく場合もあり、かえって時間を無駄にする事もままあります。
時には、テレビや新聞より過激なバイアスのものもあるので、それはそれで注意が必要ですが・・・。
さてさて、そんな訳で時事問題に疎くなっている時期はとことん疎くなるので、首相が替わったことも知らないでいた事があるほどであります。
ぬ?、そんな男がブログとは・・・、という一抹の不安を拭うように次の話題に移ります。
久々に高校生のときに買ったスティングの「ナッシング・ライク・ザ・サン」を聴きました。
高校生の時分には、幾度なく繰り返し聞いた愛聴盤でしたが、その後聴いたのはいつだったかすら記憶にありません。
が、間違いなく最近十年ではないだろう、というのは明らかであります。
先日、クイーカのエントリ をしましたが、そもそも何故に録音にクイーカを使おうかと思ったのかのきっかけが、このアルバムにあったのであります。
私は成人してからパーカッションを始めたので、昔既に聞いていた音色が、実はパーカッションだったということがままあります。
つまり、当時は曲の一部として聴いていた部分が、急に想起される事がある。
で、このアルバムについては、クイーカという楽器を知ってはじめて、『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』のサビの2拍・4拍に鳴っていたことを思い出したと。
それで、先日の録音の時にはお題がブラジルものだったので、『イングリッシュ・・・』的な使い方と、パターンとを混ぜてみようと、ネタ繰ってみたわけです。
それはさておき、もう一度アルバムを通して聞いてみると、やっぱり好きでした。
音のハイファイ加減と、楽曲、アレンジ共に好きな感じでした。
それは青春の甘酸っぱい記憶によるすり込みかもしれませんが、まぁ、それはそれで良いではないですか。
パーカッションアレンジも素晴らしい。
音色のちりばめ方と奇抜なパターンワークと抜き差しの感じ、美しいです。
「このアルバムに参加しているのはビル・サマーズだったよな~、こんな音使いするかな~??」
とおもって、クレジットを確かめると、ミノ・シネル。
納得であります。
何で、ビル・サマーズと思っていたかは謎ですが・・・。
この世界的なパーカッショニストのことはいったん忘れて、ふと自分の事に考えを戻しますと、私のプレイスタイルは「流血有機系」。
今まで述べてきた七色の方向とは全く逆なのであります。
つまり、好きである事と自分の性向が同一であるとは限らないと。
更に言えば、自分のスタイルとは全く異なるものでも良いものは良いと。
良いものは良いが自分は違うと。
・・・近年「虹の色」にも手を出したいと思い精進の途上ではありますが、「血の味」だけは忘れたくない、忘れてなるものか、そう思う3x歳の春であります。