木村和人、或いは、蛙の体形を持つ男。

いやいやいや、今日はよう歩いた。
久々に重力と闘うべく、・・・と言う気合が足らなかったのか、ほうほうの体で帰って参りました。

健脚だった時分には15分の道のりが、踏破するのに1.5倍くらいの時間がかかります。
抜かれる、抜かれる。
誰にも勝てませなんだ。
でも良いや。

ラストスパートで玄関に倒れこみますと、汗まみれだったので風呂に入りましたが、ふと洗面所の鏡に私の裸体が映し出されて・・・、

蛙やな。

体形が蛙の足を伸ばしたみたいな感じ。
そら、二足歩行には向かんわ。

蛙?
そういや、関西に来てこの方、牛蛙の声を聞く事はあれど、姿を見たのは去年だか今年だかに、蛇に飲み込まれる途中のかえるを、何処かの自然公園で見ただけなような気がする。

やっぱ田んぼが無いとダメなんすかね。

ウチの田舎は道路のすぐ脇が田んぼと言うところが沢山あるのですが、梅雨の時期などはそういった車道に一面の蛙、なんてことを目撃したこともあり、車道だけにとんでもない光景が広がっておったわけですが、非常に身近な生き物だったのですが。

蛙といえば青空球児、ゲロゲーロと鳴くんだよ!
我々の世代的には、『頑張れ、レッドビッキーズ』も忘れてはなるまいと思うのですが、その続編たる『それ行け、レッド・・・』に青空球児さんが出ていると言うのは何の因果か・・・、と言うのは全く役に立たない情報ではありますが、蛙と言えば青空球児。

青空球児といえばジプシーキングス

ジプシーキングスと言えば、高校生の時に『ジョビ・ジョバ』が流行ったのをどういうわけか聴くに及び、ライブビデオを購入したという、ごく私的な話もありますが、これもどうでも良い情報で、そういえば、先日フラメンコで『マイ・ウェイ』をしたのですが、あれはジプシー・キングス・バージョンだったような気がするのですが、彼らはスペイン人ではなかったような気もしますが、上のウィキを見ますとフランス人ということになっております。

同様にウィキによると、フランスでフラメンコをやる一族の楽団と言う記載もありますので、マイウェイのスペイン語バージョン自体は元々スペイン発祥であったりするのかもしれませんが、その辺までは明るくないのであまり詮索はしませんが、そうそう、今日はフラメンコ修行に行ったのですね。

久々に伺ったので、振り付けが進んでいるのか、それとも私の脳みそが劣化したのかは定かではありませんが、感じをつかむのが難しかったです。

で、私もパーカッショニストの端くれでありまして、いろんな種類の打楽器を扱うわけですが、一番難しい打楽器はこの手の平であるということが、フラメンコに接するようになって分ったのでありまして、手の平や棒を使って楽器を鳴らすよりも、手の平自身を直接重ね打つことのほうが難しいと言う、いやはや何とも・・・、な世界であります。

もちろん、良い音を出すのも大変なのですが、拍手(はくしゅ)ではなくて、拍手(かしわで)をして、神様や精霊を呼び出すくらいの意気込みが必要かもしれんです。

お相撲の四股や摺り足もまた、地霊を呼び覚ます為の儀式であると言うのを学生時代に教わったのですが(ウェブ上には発見できず)、踊り手さんの足にもそういった熱を感じるんです。

直接身体を使う、唄、踊りは巫女のように、楽器を使う者は儀式に必要不可欠な歌舞音曲を奏でるために・・・、といったイメージを喚起させるのです。

そういう意味で言うと、何故にフラメンコには太鼓が使われていなかったか、と言うのは不思議なのですが、現在は打楽器も一緒に演奏されることがあるため、私も接することができるようになったわけで、いやはや、非常に観念的な論を展開してしまいましたが、新参者の言うこととて、平にご容赦を。

何にせよ、演奏する時にはいつ何時も、精霊を呼び覚ますような音を出さんとアカンなと思うのですが、これは、演奏していない処で思うことであって、実際に演奏している時と言うのは、そんなことは考えていなかったり、または、何も考えていなかったりするのですが、眠くてもう考えられないので、おやすみなさい。

力士はなぜ四股を踏むのか?―大相撲の「なぜ?」がすべてわかる本。/工藤 隆一


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